2007年4月7日土曜日

電車の切符がなくなる

 SuicaとPasmoの兼用によって東京のほとんどの公共交通がカード一枚で利用できるようになった。モバイルスイカを使っている僕にとっては最高に便利になった。JRも地下鉄も、乗るとき特に何もしなくていい。路線を調べることから改札を通るまで携帯で全部出来るから。


 いままでにない便利さの実現で、ICカードの急な広がりが間違いない。今回こそ本格的に切符の退場が加速される。公衆電話のようにいつの間にかほとんどなくなるだろう。何かのイベントの時の切符販売機にできる長列も歴史になるだろう。早く新幹線もカードで乗れるようになれば、この進化がひと段落になる。


 これでチケットのコストの節約だけでも鉄道各社の業績があがる。またこれによるクレジットカードの加入の効果や消費への刺激も無視できない。ユーザーにとっても経済にとってもいいことに間違いない。


 しかし、公衆電話がほとんどなくなったことによってもたらされた少数派の不便や、地震等の災害時の公衆電話の重要さを考えると、電車チケットがなくなることでなんらかの不便や問題が引き起こされるかもしれない。具体的にはまだ思いつかないが。


 少なくともいまの僕は電車や地下鉄に乗るときどこからどこまでいくらかを意識しなくなった。もし地下鉄がこっそりと料金の値段を上げても気づかないだろう。



2007年4月6日金曜日

授業は何のためにある?

 大学の授業は教える内容が古いし、やり方も伝統的で、時代に合わない。との批判はよくある。


 大学の授業をまじめに受けるよりも、課外活動やインターンシップ、バイトで頑張ったほうが人間としての成長が大きいともよく聞く。


 どちらも正しいと思うし、どちらも偏った見方でもある。


 大学にいて、よくキャンパス外で活躍している学生を目にする。スーツを着こなし、ビジネストークをする。かっこよく見えたりもする。しかし、よく考えれば、彼らには本業をほったらかしにしている人が多いのではないか。


 よく本や雑誌で成功した人の「大学中退」を強調したり、「大学での勉強が意味ない」と書いたりする。さらに日本の企業は真っ白な学生を最初から教育しなおすのが得意だから、学生の大学での勉強については無関心。この二点が日本人の大学間をミスリードしている部分がかなり大きい。


 アメリカでは大学の課業が多く、評価も厳しい。そして一番下の何割かを留年させるなどの罰則もあったりする。だから高校まではほとんど何も勉強しない学生が大学四年間でたくさんのことを勉強し、そこからノウハウなども得られる。大学の競争を勝ち抜いた人が会社を起こし、成功していく。


 これが正しい大学の利用の仕方のはずだ。でないと四年間あるいは六年間もかけて大学に通う意味がない。その時間を利用して好きなことをやったほうがいい。


 確かに大学の授業の内容は古いのが多い。何年間も同じ教科書で同じ内容を教えている授業が多い。科学の古典的な部分を教える授業はなおそうだ。


 逆に時代の流れに沿って進化し続ける授業もある。僕が受けた授業の中にも、去年とは同じことをやらないと決めている先生もいる。また、毎回社会人の講師を招いてお話をするオムニバス形式の授業もあり、大体そのときそのときの注目の話題について話をしてくださった。


 授業のレベルに関しても、決して低くないものが多い。先学期受けていた授業で、企業の分析の研究を行なった。そして実際その分析結果を会社の取締役の方などに見てもらった。具体的な方策こそ違うが、戦略的な方向は会社のいまやろうとしているものと同じだという。その戦略決定などについても議論をしてくださった。


 研究室の研究を企業と共同でやっていて、そのまま企業のプロジェクトに携わっている友達も何人かいる。


 大学の授業や研究には高い価値がある。しかもその多くは大学でしか得られないものだ。ただ、数多くあるものの中から価値のあるものを選び出す必要がある。



2007年4月5日木曜日

官僚の窓口

 昨日研究科の留学生課に奨学金登録の手続きをしてきた。


 必要な書類を提出し、チェックしてもらい、留学生課のパソコンに自分の個人情報を打ち込めば手続き完了だ。


 書類はもちろん前もって準備をし、留学生課には提出をするだけ。チェックをしてもらうが、それでも2分あれば十分だ。


 個人情報を打ち込む内容は名前、生年月日、国籍、所属、学年、住所、電話番号、アドレス、担当教員だけで、多少パソコンに扱いに慣れていない人でも、3分があれば十分なはずだ。


 なのにこの手続きを済ませるのに40分もかかった。


 そのうち待ち時間が37分くらいで、自分の手続きの時間は3分くらいだった。


 僕の前で個人情報入力をする留学生の二人は、日本語がよく分からないせいか、それぞれ10分もかかってしまっていた。その間留学生課の職員が4人くらいいるが、誰も自分の仕事をしているだけで、教えてあげたりしなかった。


 またこの二人が終わったら、もっと前の人が間違えて打ち込んだことが判明して、職員が20人分くらい前からひとつずつチェック始めた。これがまた10分くらいかかった。


 申し訳ないと思ったのか、さすがにこれじゃ遅いと思ったのか、それから職員1人がパソコンのそばに立って見守ることにした。


 自分の番になって、1分以内に済ませた。全部自分の情報だから、迷いようがなかった。


 留学生たちは悪いと思わない。それを見ててもなにもしない職員の怠慢だ。そもそもこの個人情報入力の意味も分からない。パソコンに打ち込むすべての内容は、提出書類の中にすでに書いてあるものだ。


 職員が自分で打ちたくない、あるいは打ち間違えた責任を取りたくないから、留学生本人にやらせているとしか思えない。日本語に不自由なく、パソコンの扱いにも慣れている人なら1分以内で1人分を出来るはずのことを、10分もかけて留学生本人にやらせている。しかも、その本人の後ろで、多くの留学生が列をなして待っている。


 これが官僚の窓口の通病なのか?それとも東大工学部留学生課の病なのか、誰か教えて。



2007年4月4日水曜日

就活が変わった

 今日1997年大学を卒業した社会人の方と就活などについて話す機会があった。


 10年前の就活は大学四年生になる直前くらいから始まるものだった。エントリーをして、選考を経て、内定をもらう。


 エントリー、選考、内定というやり方はやはり同じだが、いまの就活は10年前より半年くらい早くなった。


 いまの大学3年生や修士1年生は2学期から就活をはじめる。つまり3年生や修士1年の11月からだ。


 原因はそこまで早く採用を始める企業が増えたからだ。特に外資はやたら早くやり始める。学生を囲い込むためには、早く動く出すのは確かに正解かもしれない。


 もっと積極的な学生なら3年生や修士1年生のの夏休みに企業のインターンシップに参加する。そのためのエントリーや選考は6月中旬くらいから始まる。


 3年生を置いといて、修士1年生を考えてみると、4月に大学院に入学したばかりで、また3ヶ月も大学院での勉強をしていないのに、就職活動の一部であるインターンシップをはじめている。そして、大学院に入って半年、本格的な就職活動が始まり、早ければその3ヵ月後にもう内定をもらっている。


 つまり修士1年が終わっていないうちに、希望企業の内定を勝ち取ることが可能なのだ。


 一見いい話のようだが、実際はそうでもない。院に入って半年後の時点では、修士としての研究はもちろん、大学院の授業すら十分に受けていないはずだ。それまでの時間をちゃんと勉強や研究に集中していればいいけど、そうでない人は最初の一年間は大学院から得るものが少ない。


 企業は大学や大学院で何を勉強してきたかを重視しないし、むしろ課外活動を重視している。内定をもらってからの一年をちゃんと勉強や研究に打つ込めばいいという理屈を言えば、ごもっともでそれまでだが、やはり大学院に入る本来の目的は就職のための自由時間の確保ではないはずだ。


 このような構造を作ってしまったこの社会や、ひとつ上、二つ上の世代がもちろん悪いが、それをおかしいと考えずに流される学生も同じく悪いだろう。


 大学や大学院にいる間にしか勉強できないことも多い、確かに学校で教えられる知識などは古いものが多いが、一人前の大学生なら大学は知識を勉強するだけのところではないことくらい分かるはずだ。


 知識以上に重要で、しかも大学でしか勉強できないことも多々ある。それを見つけて、限られた時間の中で吸収し、自分の教養や能力を上げることが大学生、大学院生の本来の目的のはずだ。


 この四月、また大学院をただの就職のための通過路として考えている学生が大学院に進学してきている。



2007年4月3日火曜日

ナイトミュージアム

 を見てきた。


 感想としては、面白い映画だけど、ちょっとボケが足りなかった。もっと工夫すればもっとよく出来たはずだということだ。


 これを見て、ハリウッド映画が落ちたと改めて思った。この映画だけじゃないが、最近のハリウッド映画は今まで見たいろんな映画をくっつけて作ったものだという感じがかなりして、オリジナリティのある発想やストーリーは足りない。


 小説、漫画の映画化、リメイク、組み合わせ。とにかく売れるものを手早く作って売るというようになってきた。映画のための映画、理想のための映画は足りない。とうとうアカデミック賞までが香港映画のリメイクになった。


 だから去年邦画の調子がよかった。でも日本の映画も同じ問題に直面している。世界の映画業界全体がそうかもしれない。


 ダウンタウンの松本さんが映画を作る際、北野武監督がアドバイスしたのは「最初の映画は興行のいいものにしろ、そしたら次から自由に作らせてくれるから。」


 映画業界の問題をずばり表した言葉だ。要は興行のために映画を作っている。だから興行がよくなければ、理想もチャレンジも何もない。金が集まらない、映画が作れない。


 テレビも出版も新聞も雑誌も、皆金を最も作れる方法で動いている。本当にどの道が一番いいのかを考えもしない。


 客が離れていくのは結果だ。そして業界全体がとまり、反省し、再始動して、しばらく試行錯誤して、やっとまた人気を回復できる。


 そうならないように常に考えておけばいいのに。ハリウッド映画みたいに成らないように。



2007年4月2日月曜日

初詣に行ってきた

 今日初詣に行ってきた。


 その年の初の参りならいつでも初詣だと思ったけど、辞書で調べたら初詣は正月限定のようだ。なので今日のお参りは正確には初詣とはいえないようだ。


 とにかく今日今年初めてお参りしてきた。特にこれっという理由もない。今年に入ってからまだ神社に行ったことがないと思っただけだった。


 前回の初詣は家からちょっとはなれたところにある有名な神社に行った。今回はもっと家に近い同じ有名な神社に行くことにした。歩いていける距離だけど、まだ行ったことがないのだ。


 行ってみた感想としては、思ったより広くて立派な神社だった。歴史もあり境内も非常にきれいだった。


 神社には非常に日本の文化を感じる。神社に行くことはは日本の伝統文化に簡単に触れる数少ない機会だと思っている。いまの社会でこのように簡単に伝統文化に触れられる場があまりにも少なくなっていると思う。


 相撲は外国人力士が活躍するちょっと困った状況にある。


 落語や歌舞伎などは行こうと思えばいけるが、そのコストが高すぎる。金のない若者ではなかなか気軽に行けるような値段ではない。


 一定年齢層の人しか行かないから客数に限界がある、だからその値段が高くなる。そうすると金のない若者がますますいけなくなる。


 中国でも同じ状況だ。京劇などの伝統文化の代表的なものは文化から消えつつある。爆竹も一度環境保護などの理由で厳しい制限にあった。その後制限がほとんど解除されたが、伝統文化と現代の文化や「都合」との戦いの一例になった。


 伝統文化に対してどんな考え方を持ち、どんな保護策をとるかはそれぞれの国や社会の自由だ。しかしそのために活動する人がごく一部しかいないのは問題かもしれない。根本にある原因は伝統文化の多くは一般的に触れにくいからだろう。



2007年4月1日日曜日

ただいま

 帰ってきた。朝の飛行機でちょうどお昼に東京に着いた。


 暑い暑い暑い!


 実家の長春の今日の気温は-3℃~3℃だった。対して東京は20℃くらいあった。しかも東京に着いたのは一番暑い時間帯だった。


 あっちこっち桜が咲いていて、通り過ぎた公園に花見の人でいっぱいだった。いい季節に戻ってきたなと少しは思ったが、明日雨が降るかもしれないようだ。もしかしたら桜を見れないじゃないかとちょっと心配した。


 3週間中国にいて、基本的には完全オフだった。寒いのと同級生が就職してほかの都市に行ってたりすることで、あまり活動的じゃなかったけど、都市の変化や会った人の話からいろんなことを新たに認識することになった。


 これから少しずつこの3週間で見てきたこと、考えたことを書くつもりなので、どうぞ見てください。