2005年12月24日土曜日

宅配食事 商店街のビジネスチャンス

 今日ピザを頼んだ。
 食事の宅配サービスはたくさんあるのでしょうか?僕の知っているのはピザ類、チャイナクィックの中華料理、セブンイレブンの食事、そして一部のケンタッキーのチキンなど、あとは蕎麦屋さんくらい。もっとたくさんあっても不思議ではない気がするが、他はあまり聞かない。特にチェーン店の形になっているのはもっと少ない。
 宅配サービスはコストがかかるし、いろんな制限があるだろうからあまり展開していないのはわかる。しかし、これからの老齢化などが進むにつれて、宅配食事サービスに対するニーズがますます増えていくに違いない。今でも高齢者向けの食事配送サービスがあるが、要介護者の施設向きのが多く、もっと一般的なのは少ない。
 そして、今の食事宅配のもう一つの問題は、量が多いことである。配送コストなどがかかるから、一人前をやっていても価格は低いため採算が合わないからであろう。これも更なる普及の一つの壁である。
 宅配店舗数の少なさと2人前以上でないと宅配されない問題は、商店街の飲食店にとってのチャンスではないかと思う。



 商店街の店は、地域に詳しいため、範囲を決めて、食事の配達サービスを提供することが可能だと思う。
 食事の時間帯になると、店自体が混んでいて、繁盛している店にとってはあまり必要ないかもしれないが、みんな繁盛している店でも限らない。あまり客のない店なら、やってみても良いではないか。一人前からの食事を、限定された範囲内で、宅配をする。繁盛している店でも時間帯限定ならできると思う。
 コストの問題はあるが、範囲と時間帯を限定すれば、その時間帯だけバイトを雇えば良いし、一定距離以内から自転車でもできるからそれほどのコストもかからないだろう。
 個人的なイメージではあるが、商店街の店ほど頑固で、あまり時代の流れに適応できないのが多い。だから郊外で大型店が作られると「生きていけない」と情けないことを言い出す。政府もその情けない店を助けようとするのだが、どうかと思う。
 大型店にない商店街だからの強みを見つければいいではないか。郊外の大型店ではできないこの配送サービスも一つのチャンスではないか。

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2005年12月23日金曜日

年末大掃除

 今日は大掃除をしている。まだ終わっていないからまたこの後その続きをする。
 今年の掃除で新しい内容として増えたのは自分の名前や住所などが書いてある葉書や領収書や書類などをシュレッダーで処分することだ。以外とかなりの量がある。
 そして次に大変なのは新しく増えたプリントなどの印刷物だ。大学生だから、勉強のために大量の資料などが毎年増えていく。一部は処分するが、多くは保留することにしている。処分する時期を決めるのが難しい。
 本もかなり増えているが、分類しやすいから、整理すること自体は大変ではない。ちょっと場所が足りなくなりつつあるのが問題だけど。
 整理することの基本作業はものの分類と置く場所を決めることだ。後は決めたことにしたがってやるだけ。難しいことではないようだが、やはり多くのときは大変と感じるのは、決めたことをちゃんと守っていないからだ。
 要は、人間は当たり前のことをちゃんとできれいればすごいということだ。


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2005年12月22日木曜日

中国で大型油田発見

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 今日はちょっと研究テーマに関係するニュースについてを書く。
 今日の新華社ニュースで、中国は青蔵高原(青海省と西蔵自治区が位置する海抜4000メートル以上の高原)に、大慶油田の二倍の(究極)埋蔵量の100億トン(740億バーレル)の大型油田を発見したとのニュースがあった。
 これが意味するのは、中国は割と近い将来の原油自給率が更に大きく上がることである。もちろん直接に原油市場の価格下降材料になって、このニュースによって直近の価格は少し、そして新油田生産開始時からは価格は大きく下落することになるだろう。
 原油価格の変動の影響は、もちろんガソリン価格の変化だけではなく、化学製品の原材料の価格、交通輸送業界のコストなどなどにも及ぼす。そして、前テレビで見たが、石油が原料の洗剤を使っているから、クリーニング業界には致命的に近い打撃を与えたりすることがある。
 (写真は中国勝利油田での掘削現場)



 原油市場への影響は、国内原油生産量が増えるからだけではない。この大型油田を国内で、(しかも地理的条件がかなり厳しいところで)発見したことによって、国外企業などの買収資金のかなりの部分が国内に向けることになる。それで、外国企業が懸念している中国企業の外国企業の大規模買収はひと段落になり、落ち着くことになるだろう。
 中国の原油需要増もあるから、これらの原因だけによっては、近い将来の原油価格は大きな幅の減少がないだろうが、これ以上に中国が国際原油市場に圧力を与えることもしばらくはないであろう。
 これからは大規模の原発建設もあるから、中国のエネルギー問題は大きく緩和されるだろう。これもまた日本に中国進出企業には直接なメリットがいろいろとあるだろう。
 直接、間接に中国のエネルギー問題の緩和は日本や世界経済には多種の形で波及効果を及ぼしている。その意味でも中国一国のエネルギー問題は決して一国の問題ではない。日本も、さらに他の国も、小さい権益ばかりに目を向けるのではなく、もっと長い目で中国とエネルギーについて協力して欲しいと思う。


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2005年12月21日水曜日

辞任、就任、また辞任、また就任

 NHKの海老沢前会長、読売新聞の調査研究本部顧問にとのニュースがあった。
 こんなにも何かのポストに就きたいのかと聞いてみたくなる。二回も視聴者たちの反発で辞任せざるを得ない状況になったにもかかわらず、またこんのようなどんな意味があるのかわからないようなポストに就いてしまう。このポストに就いても、本当に何か役の立つ仕事をしたいようには感じられない。
 「いさぎよく」ということをまったく考えていないようだ。また今度もまた視聴者の反発を受けなければいいが。



 この前立花隆先生が授業で、「前には今の大学生が新聞を読まないのは問題だと思っていたが、最近になって、それは新聞が時代に適応できず、情報伝達メディアとしてインターネットに負けているからだとわかった」とおっしゃっていた。まったくその通りだと思う。僕は新聞を読んでいないが、手に入れている情報量は決して新聞よりは少なくない、むしろ多数のメディアを利用することで、より多種多様、多側面からの見方の情報を入手できている。
 このように新聞には根本的な変革が必要な時代には、前の時代(あるいは前の前の時代)の人たちがトップに立っても何も変わらないだろうと思う。海老沢さんも、そして当の読売のトップの渡辺さんも古い新聞の体質を変えるとは思えない。もしろ完全に引退したほうが新聞にとってはプラスではないかと思ってしまう。


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2005年12月20日火曜日

取材を受けました

 今日は朝日新聞の取材を受けた。
 「若手の研究者」というテーマの連載を新年1月初旬から夕刊の科学面で始まるらしい。その第一回目として僕が所属しているシステム創成学科 知能社会システムコース(PSI)が取り上げられることになった。
 先生3人(?)と学生三人が取材を受けていて、学科のことや、その学科での勉強、研究についていろいろ聞かれた。これで少しでもPSIが学外の人に知ってもらえたらと思う。
 いろいろ話をしたが、まだどのような記事になるかはわからない。具体的に掲載される期日もわからないが、わかったらまたここに書くつもり。
 あと少しで卒業するが、これで学科での2年間をいろいろ思い出すことになって、やはり楽しかった2年間だったと再確認できた。


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2005年12月19日月曜日

中国の台風洪水災害

 中国政府が今年の台風洪水災害の被害者数と被害額を公表した。
 発表によると、2005年の台風洪水災害の被害者(死者行方不明者)は1624人、直接な被害額は1558億元(約2兆2000億円)だという。
 具体的なデータによると、被災した省、自治区、直轄市は全国の34個中31個、被災人口は2億1000万人、避難人口は1800万人にも達した。ほぼ全土の被害だった。でも、これでも1992年以来の平均被害よりは低い年だという。
 国土の広い中国は大昔から台風洪水災害の多い国なのだ。
 

 大昔の伝説には、夏の時代(まだ遺跡が発見されていないため、国際的にはその次の商を中国文明の開始としているが、中国では1000年ほど続いた夏の時代が文明の開始としている)よりも前の時代から、「禹が水を治す」という伝説が残っている。
 その時の中国の黄河流域の王は堯という人だった。当時黄河が毎年氾濫するため、堯が鯀という人にその問題を解決するよう命じた。鯀が9年間黄河の洪水と戦ったが、実績を上げることができなかった。その間王の堯が退位し、舜が新しい王になった。舜が実際に黄河に視察しに行き、鯀のやったことがあまり効果がなかったことがわかった。舜が9年間もやっていて、実績を上げられらなかった鯀に怒り、彼を処刑した。そしてその息子の禹にその仕事を命じた。禹がお父さんの方法をよく知っていた。鯀はあらゆるところに堤防を作り、水が溢れてくるのを防いでいた。しかし毎年の大洪水は堤防を簡単に超えていたから、いくら堤防を作っていてもあまり効果がなかった。禹はそのやり方を使わなかった。彼は人工的に川を作り、黄河の洪水が海に流れるように導いた。それから黄河流域には洪水の災害はなかった。その功績が評価され、舜は彼を自分の次の王に選んだ。
 もちろんこれは禹を讃える伝説であって、一時的に洪水の災害が収まっても、その後も各時代には黄河と揚子江の洪水災害があった。5000年も同じ川の災害にあい続けている中国はいろいろな手段で問題を解決してきた。しかし戦争などが起きるたびに、その施設などはことごとく壊されていた。そして、どの時代にも鯀のような一生懸命やっても問題を解決できない人たちがいた。
 今の中国も同じように、40年代の戦争で防洪施設がほとんど壊された。そして、それを作り直している現在には、鯀のような官僚がいるから問題をよく解決できないのだと思う。


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2005年12月18日日曜日

東大マンホール

0a822b1d.JPG 東大キャンパス内にあるマンホールは見学者によく写真撮られる。
 やはりマンホールはあまり残っていない東大に「帝国」がつくものだからでしょうか。
 東大の性格はおそらく設立当時の「帝国大学」の時から変わっていないであろう。「国を作る」というミッションを背負いながら、国との運命共同体としての存在としてきた東大は、これからもまたこの性格のままで行くでしょう。



 東大はその影響力を含めてやはり今でもきわめて巨大な存在である。巨大のため、ゆっくりと変化しながら日本の時代に合わせている。僕の学科関係で言えば造船工学の消滅と技術経営工学の創立が一つの例だと思う。ここ数年東大では原子力関係や、アニメ製作などの大学院をも作り、やはり国が必要な人材を作り続ける使命感を感じるような行動である。
 立花隆先生が「天皇と東大」という本を出している。この本はまさに日本国と東大の運命共同体の歴史を描いているものである。そのような東大のこれからの行動や、また日本の将来を左右するものになるでしょうか。


 


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