2004年9月9日木曜日

IBMの社員さんと話(9月8日)

 昨日(8日)IBMの入社12年以上の社員さん二人と話させていただいた。いろいろ話をして、かなり面白かったけど、ここではちょっと前書いたものと関係ある新入社員についての話を書く。以下は全部聞かせてもらった話です。

 新卒採用をするときに、大学や資格などを見ることは日本IBMもほかの会社同様するけど、入社してからはほとんど関係なくなる。実際に評価する基準としては、会社にどれだけ貢献できたかであって、どれだけ期待できるかの期待値ではない。なので、どこの大学卒であろうか、どんな資格を持っていようか、会社に貢献できなければまったく意味がない。日本IBMでは、資格などに対する手当ては一切出ない。



 新入社員研修は基本的に全員同じ内容で受けさせる。ただし,プログラム言語などの技能は、すでに持っている人はスキップできる。研修終わって部署に入ると、すべての新入社員を同じスタートライン上に立たされ、最初は同じレベルのいわゆる新入社員に与える仕事しか与えない。3年,5年目くらいからは、仕事の出来を見て、仕事を与えることになる。仕事の出来る人にいい仕事を集まる傾向があるから、5年目くらいは重要だと。

 会社への貢献という基準で評価する(もちろん100%実績で評価するのではないが)かわりに、大きい貢献をしたい人にはチャンスを与える。やりたい仕事をやらせてくれる。ただ、もちろんその分の責任を持たなければならない。

 マネージャーたちは社員の能力を伸ばすような仕事を与えるように心がけてはいる。研修制度も完備で、受けるかどうかは個人次第。

 本当に有能な人は一生日本IBMで働かないかもしれない。

 女性は重視されている。女性マネージャーはかなりいる。同じ能力の男女なら、女性の方を上に上げる。

 年収1000万を超えることは、入社10年以内はまずない。

 各国のIBMは全部別会社であるため、日本IBMからほかの国のIBMに移動することは出来ない。移動したい場合は、会社を辞めて、向こうのIBMにもう一回応募するしかない。



 ポイントは大体以上の感じ。ほかにもいろいろ話をしたが、今日のテーマとあまり関係ないから、割愛する。

 ほかの会社の実際のやり方はあまり知らないが、割と日本的な外資系のIBMのやり方は、日本とアメリカの間にあるのではないかと思った。検証が必要だ。

2004年9月8日水曜日

牛丼復活の日近い?(9月7日に書くつもりだった)

吉ブー

牛丼復活の日が見えてきたようなニュースがあった。牛丼ファンの僕にしてはかなりうれしいニュースだ。

牛丼のない日では豚丼(ぶたどん)、豚めし、豚丼(とんどん)(全部大手チェーン店の商品名)にも慣れてきて、最近吉野家の吉ブー(写真)をもらった。もちろん4杯食べて交換したものだけど。



この牛丼のない日々に各店の代わりに出しているものを食べて、正直吉野家のはイマイチだった。そう人気があるわけでもない上、価格は割高。これじゃ勝てないね。阿部社長もかなり苦しかったでしょう。このニュースは相当うれしいでしょう。そもそも牛丼一本で行くと決めた吉野家は牛丼が無くなるなんて想像もしなかっただろう。松屋をみて焦っただろう。なんといっても松屋では新しいものを出すのが自然だから。何の抵抗もない、体制も最初から整っている。比べると吉野家はかなり追い込まれたように見える。ちょっとかわいそうにも見えた。ちょっとばかばかしいかもしれないけど、吉野家をみて、Windowsがもし無くなったときのマイクロソフト、旅客機がもし無くなったときのJAL、学生がもしいなくなったときの東京大学を想像してみた。これは杞憂かな?



吉野家について色々言ってはいるが、牛丼ファンとして応援したい。どうぞ大手牛丼チェーンはみんなもっといい会社になるように。そして、牛丼早く復活できるように祈ります。

2004年9月6日月曜日

東大生

「東大生が書いたやさしい株の教科書」を土日で読んだ。結構面白かった。そして株についてちょっとわかる気になってきた。少なくともチャートは読めるようになった。分析も簡単なのができるようになった。後は実践しながらもっと詳しい勉強をするのだ。とは言っても今のところ株に投資するつもりはない。金がないから。

 東大生が頭いいというのは本当だ。なんだかんだ言っても東大生は東大生だ。ただ東大生は東京大学という組織の中で、ほんの少ししか力を発揮できずに卒業してしまう場合が多い。そしてこのような東大生は、またIBMのような力を十分に発揮できない大企業に入ってしまう。

 もったいないことだ。 

東大というブランドとそのブランドのもとで作られた組織は、東大生を安心させる。だから、なにも考えずにただ東大にいるだけの学生が多く出てくる。東大生にはパワーがある、しかし、安心している東大生たちは、そのパワーを使おうとしない。なぜなら、東大という組織、そしてその組織から卒業した後の日本社会という組織は、東大生がいつでも安心できるような仕組みを作っている。東大生を東大生だからという理由で受け入れ、それほど力を発揮しなくても満足できるくらいの給料を東大生にくれる。そして東大生も安心して、自分の本当の力を殺して、小さいな仕事をする。

 実はほかの有名大学も同じ。責任を大学側や学歴社会だけに帰着してはいけない。

 日本の企業にも問題がある。そしてむしろ主な責任は実は企業側にあると思う。特にいわゆる大企業に。

 日本の企業とアメリカの企業の違いと言えば、一番挙げたいのは教育である。これは周知の事実だと思う。日本企業は新入社員を同じように教育し、理想の新入社員を作る。そして、その理想像に従って、新入社員に仕事を振る。これは、すでにできあがったシステムである。そうすれば、どんなに個性的、能力のある社員でも、最初はほかの新入社員と同じ教育を受けさせられる。そして同じように見られ、同じくらいしか期待されない。同じ仕事しかやらせてくれない。たとえ本当に能力があるとしても、このすでにできあがってしまったシステムを無視して、大きな仕事を任せることをしない。このシステムでは、個個人の能力を見ていない。どんな人が入ってきても、社内教育をちゃんと受けるくらいの学力があれば、問題ないわけだ。

 アメリカの企業は、社員向けの教育の参加は個人の自由である。企業側が要求する能力があれば、参加しなくてもいい。むしろ最初から能力のある人を即戦力として入れたい。企業が見ているのは個人の能力、能力があると認められた人には、たとえ若くても、大きな仕事を任される。

 両方の企業とも大学名をそんなに意識しない。ただ、その意味は違う。アメリカ企業は、どこの大学からでたか関係なく、その人の能力を見て判断するから、出身大学はそれほど重要ではない。しかし、日本企業は、どこの大学を出ても、入社したら教育し直すから、社内教育を受けられるくらいの学力があればいい。それ以上は期待しないし、必要ない。

 ではどうせい期待していなかったら、なぜ日本の大企業は東大などの有名大学の学生を取りたいのか?これも明白なことで、有名大学の学生たちは不安定の高い給料よりも安定を求め大企業を希望する場合が多い。企業側としては、よりよく社員教育を受けられる学生を取りたいから、自然に「勉強のプロ」である有名大学の学生を取ることになる。このように両方と望んでいることだから、自然に成立する。

 結局日本の大企業いい学生をたくさん集めるが、能力にふさわしい仕事を与えない。学生も自分の本当の能力を犠牲にして、安定した生活を選ぶ。

 社会にとっては、これは人材の無駄遣いであろう。

2004年9月5日日曜日

IBMでのインターンシップ

今日はインターンの報告をちょっと書く。今は日本IBMでインターンしてる。全部四週間で、明日からは最後の一週間の始まりだ。

インターンではあるが、名前がIBMビジネスカレッジという日経新聞社とIBMが共催するスクールみたいなものだ。最初の一週間はファンダメンタルセッションという名の研修で、その後の三週間はプラクティカルセッションといういわゆる普通の仕事体験だ。

セッションは毎日テーマがあって、全員の54人の参加者を8チームに分けて、用意されたプログラムにしたがって色々そのテーマについて考えて、発表資料を手書きで作成、それを発表する。テーマは「自分の強みと弱み」など個人について考えるものと「チームの戦略を練る」のようなチームとして考えるものがあって、全体的にはちょっとコーチング的な要素入りのビジネスマン養成の基礎講座の感じだった。そしてもう一つ重要な特徴としては、当たり前ではあるが、インターン生の54人をIBM色に染めるような内容だった。

 こういう系のインターンをままごとインターンと呼んでいる人がいる。それも確かにそうで、あまりこういうものが実践でとても役立つとは思えない。ただ心構えができるくらいの効果は恐らくあると思う。でもどっちにしても、集まった54人の実力を考えると、ちょっとままごとと言っても良かったかも。みんなももっと本気でやれるくらいのレベルのものを期待していたのではないかな?



研修のファンダメンタルセッションと体験のプラクティカルセッション以外にに、もう一つ内容として、一日一時間使って、54全員で何か形のあるものを作り上げるプロジェクトがあった。これもまたおもしろい話で、54人という膨大な組織を一つのプロジェクトチームにして、仕事をすることが、まずコミュニケーションの面と意志統一の面からしてほぼ無理の話で、さらに要求として「みんなの意見を尊重して、一人の脱落者なく」を付け加えると、とても難しいことになってしまう。セッションでやっていることとこのプロジェクトの差が、まじめに考えると、ちょっと大きすぎたかも。実際に始めてみて、その大変さが現れてきた。プロジェクトマネージャーはみんなの意見をまとめようとするが、結局意見がまとまらなく、時間だけがすぎてしまう。それもそのはず、あまりにもみんなの意見を聞こうとしたから、みんな自由に意見をいい、結論を出すのがますます難しくなっていく。

 みんなの意見を聞くべきではないと思わないが、こういうとき、原案をまず作って、それについてみんなが議論した方が仕事の進め方としていい気がする。最初のアイディアはみんなにブレストで出してもらうが、そのあとそれをまとめて、絞って、みんなの意見に従って一つを選んで原案を作ることはみんなの話し合いでやるべきではないと思う。だれかがやって、具体案としてそれをみんな提示して、意見を求めるべきだと思う。今回は実際にすべての部分をみんなで決めようとしたから、なかなか進まなかった。

 みんな意見を尊重することは、みんなの意見を最終的な結論の盛り込むことではない。一つのものを作ることが目標である以上、みんなそれぞれの違う視点と考えを取捨選択しなければならない。

 問題はたくさんあるけど、今回のプロジェクトは割とうまくいっている。それは実際に取ったやり方は途中から現実的なものになったからだ。みんなが自由に全体の場で意見をいうのではなく、まずグループに分けて、その中で意見をいい、そしてグループの意見を一つまとめて、代表としてグループのリーダーがそれをみんなに発表する。そして各グループの意見をまた取捨選択して、全体として一つの結論を出す。みんなの意見を全部盛り込むという幻想を捨てて、意見を出し合って支持が得られる意見を選ぶというとても現実的で効率のいいやり方を取ったから、最終的にうまくいった。いい考えを持っても、それを主張によってみんなを納得させなければならない。主張が最終的に全体の案として採用されなければ、主張の意味がなくなる。甘く考えてならないのはビジネスの世界だから、このやり方はその意味で最適かもしれない。

時間がなくほとんどミーティングなどに参加していない僕から見て、本当にリーダーをはじめとしてみんなよく頑張っている。やはりIBCに集まったメンバーたちはみんなすごい。そしてまたかもIBCはこんなすばらしいインターン生にもっと価値のあるものを提供すべきだと思う。