2004年6月19日土曜日

写し

クラスメートに聞かれたことについて書きます。

僕は金曜日の授業で先生の授業を無視してレポートを写していました。それで「中国ではレポートや試験を写すのが別に悪いと思わない」ってことが本当かどうかと聞かれました。答えとしては「もちろんそれはみんな悪いと思っている」となるけど、そうやってる人が(僕を含めて)たくさんいることは否めません。その原因を考えると、僕の理解としては、人口の多さ+実力社会がメインの原因だと思います。



人口が多い中国では、ほぼすべての競争は高い倍率で行われている。有名大学の入試の倍率が30とか40になってることを知ってる人も多いだろうと思います。その上に、実力社会がために、勝ち残るのには本当の実力が必要なのです。実力で戦って勝ち残りたい人は必死に頑張っています。勝つ人がいれば、負ける人もいる。儒教的な考え方の影響が原因で、人間関係の間に、特に集団の中では上下関係が存在する(これに関しては日本のほうがもっとはっきりしているが)、それは中国では階級的な考え方として文化の中に存在します。負けた人は、今にいる階級に残れず、下の階級に落ちていく可能性があります。負けてもその階級から淘汰されず、何とかみんなと一緒に生き残るために、何らかの実力の証明が必要となってきます。その証明が出来るくらいの実力がある人は、負けても自力で生き残れるが、その実力さえない人は、人の力を借りるしかなくなります。幸か不幸か、このような危機的な場面に陥ってしまった人を助ける人が大体います。それは助ければ、仲間を失うことなく今まで通りの現状維持が出来るからです。

これは古くから中国文化にあるものではありますが、「写し」はそれの現代社会での反映だと僕が思います。負けても淘汰されずにすむなら、みんなはこんなことをやらないでしょう。

と、深く原因を探求してみたけれども、僕が金曜日にやったことの理由は単純です。前の授業で一回やった内容とまったく同じ内容をもう一回先生がやってましたから、その時間を数学のレポートにまわすことにしました。解き方は理解していたけど、一問一問をやる時間がなかったため、写しました。レポートの点数自体あまり意味を持たないから、悪いこともないと思いますが。

以上全篇をただの言い訳として読み取っている人ももしかしているかもしれないが、不本意だけど、人それぞれの理解なので、特にそれについて言うことはありません。読んでくれた人の中国に対する理解がすこしでも深くなったら、うれしいです。最後にこれだけを書くきっかけを作ってくれた博多君に感謝します。