2005年12月19日月曜日

中国の台風洪水災害

 中国政府が今年の台風洪水災害の被害者数と被害額を公表した。
 発表によると、2005年の台風洪水災害の被害者(死者行方不明者)は1624人、直接な被害額は1558億元(約2兆2000億円)だという。
 具体的なデータによると、被災した省、自治区、直轄市は全国の34個中31個、被災人口は2億1000万人、避難人口は1800万人にも達した。ほぼ全土の被害だった。でも、これでも1992年以来の平均被害よりは低い年だという。
 国土の広い中国は大昔から台風洪水災害の多い国なのだ。
 

 大昔の伝説には、夏の時代(まだ遺跡が発見されていないため、国際的にはその次の商を中国文明の開始としているが、中国では1000年ほど続いた夏の時代が文明の開始としている)よりも前の時代から、「禹が水を治す」という伝説が残っている。
 その時の中国の黄河流域の王は堯という人だった。当時黄河が毎年氾濫するため、堯が鯀という人にその問題を解決するよう命じた。鯀が9年間黄河の洪水と戦ったが、実績を上げることができなかった。その間王の堯が退位し、舜が新しい王になった。舜が実際に黄河に視察しに行き、鯀のやったことがあまり効果がなかったことがわかった。舜が9年間もやっていて、実績を上げられらなかった鯀に怒り、彼を処刑した。そしてその息子の禹にその仕事を命じた。禹がお父さんの方法をよく知っていた。鯀はあらゆるところに堤防を作り、水が溢れてくるのを防いでいた。しかし毎年の大洪水は堤防を簡単に超えていたから、いくら堤防を作っていてもあまり効果がなかった。禹はそのやり方を使わなかった。彼は人工的に川を作り、黄河の洪水が海に流れるように導いた。それから黄河流域には洪水の災害はなかった。その功績が評価され、舜は彼を自分の次の王に選んだ。
 もちろんこれは禹を讃える伝説であって、一時的に洪水の災害が収まっても、その後も各時代には黄河と揚子江の洪水災害があった。5000年も同じ川の災害にあい続けている中国はいろいろな手段で問題を解決してきた。しかし戦争などが起きるたびに、その施設などはことごとく壊されていた。そして、どの時代にも鯀のような一生懸命やっても問題を解決できない人たちがいた。
 今の中国も同じように、40年代の戦争で防洪施設がほとんど壊された。そして、それを作り直している現在には、鯀のような官僚がいるから問題をよく解決できないのだと思う。


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