2007年3月3日土曜日

映画 幸せのちから

 先日見てきた。非常にいい映画だった。


 幸せをつかむために現状にめげずに努力する父親とその精神的な支えとなる息子。


 父親の努力よりも、僕は息子の存在が決定的だと思った。


 この話は前から知っていた。そのとき聞いていたのはほとんど父親の話だった。知力と努力の両方の才能を持ち合わせた父親が人生を変えたというようなアメリカドリーム的な話だった。


 だけど、少なくとも映画では、父親の才能よりも、息子の意識的無意識的な支えがこの映画の芯だと思った。そもそもタイトルの「幸せのちから」はその表れだ。


 動機付けとなる誰かや何かの存在があるのは恵まれてることだ。


 よく夢を語っている成功者の本では、20年後30年後の自分の成功しているときの姿を想像することで、モチベーションを維持できると書いてある。


 それを否定するつもりはないが、やはり具体的な誰かや何かが大事なのではないのでしょうか。家族のために、代々続いてきた家業のために、とか。


 僕はそう思う。


 よく、家族ができたら、守らなければ成らないという意識ができるから、チャレンジができなくなると聞く。それは家族を言い訳に使っているとしか聞こえない。


 家族のためだからこそ、リスクがあるからだめだというような短絡な思考ではなく、どちらの選択肢がよりいい選択肢なのかを真剣に検討しなければならない。


 そして、家族との信頼関係があれば、選んだ道に進んでいけばいいだろう。


 信頼関係のある家族が少ないかもしれないね。



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