この静かな時間は一番好きで、リラックスする。
何もしないわけではない、何かをして、それについて熟考する。深く、論理的よりも感受的に。
たとえば読書の場合、いつものように知識やノウハウの勉強や蓄積のための読書ではなく、どちらかといえば心底にあるなんらかの感情を久しぶりに、あるいは初めて掘り出すように、一行や二行でも、短いかもしれないが、熟考のきっかけになるのに十分だ。
そういえばたしかに自分の中にもこのフレーズに似たような感情があったな、というような一文。あるいは、なるほどこんな感情は初めてだ、のような。
その感情を味わい、いまの自分になにかの啓示として残すための熟考。充実で、楽しい。
読書に限らず、きっかけを与えてくれるなんでもいい。目の前の景色、目の前の人、碁盤、ゲームの画面、音楽、ラジオ、ドラマ、映画、漫才、知らない人の雑談、なんでもいい。
静かに考えるというが、音がないわけではない。静かなのは心の感覚、脳の動き。理系脳の得意な短時間集中的な情報処理ではなく、ゆったりと、淡々と、途切れ途切れな、だけど心の微動も逃がさないような処理。
脳を働かせるのではなく、胸の中にある神経を全動員して感情を捉える。
捉えたときに深い満足感と更なる好奇心が満ちる。
毎日この静かな時間を意識的に作ることが、自分の内層形成のための日課でもあり、楽しみでもある。
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