2007年1月29日月曜日

小学校の同級生の話

 去年末、小学校の同級生の一人が結婚した。


 知らせてくれたが、僕はこっちにいたので挙式に参加できなかった。同級生たち何人かが参加した。その参加した同級生たちはみんな大学生だが、結婚した本人は大学生ではなかった。


 彼は結構変わっている人だと思う。


 小学校のときは決して勉強の出来る子ではなかった。喧嘩とかして問題を起こしたこともある。だけど責任感が強く、クラスの整備委員などを務めて、いろんな貢献もした。


 卒業後中学校に進学したが、高校には行かなかった。


 バンドをやりながら若者が集まる街でアクセサリーと服などを売る店を開いた。彼の売っているアクセサリーも服も全国各地から仕入れてきたレア品が多くて、その店にしかないものがほとんどだった。そして同じ商品の数も限られていて、新商品が仕入れてきたら、早く買わないとなくなってしまう。


 この店は一部の若者の間では結構人気だったようだ。2回ほど行ったことがあるが、確かにモノはいい。


 そして当時の彼のファッションも変わったものだった。真緑のつんつん頭に、あらゆるところにピアス、それに中性な服だという。中国の都市のファッションはかなり進んで、先進国とさほど変わらなくなったが、それにしても彼のあの格好は当時では受け入れられにくいものだった。


 僕は日本にいたから同時の彼に会ったことがなかったが、一緒に歩いていると街の人からの注目度100%だったらしい。


 僕が大学に入る2002年になって彼は店を閉めて北京に行った。今までも店の仕入れのためにかなりの回数北京に行っていたらしいが、今回は北京進出だ。彼は「店が儲からない」と言っていたが、北京にはほかの何かを求めているに違いないと皆思った。そしてそれは今までやってきたバンドの延長線で、音楽をやろうとしているだろうと僕は思った。


 それからの彼は一気に進み始めた。


 最初は確かにバンドやっていたときに知り合っていた人の紹介で、北京でバンドをやっている人の人脈をどんどん広げていた。その時点ではまだ彼には明白な目標がなかったかもしれない。たまに有名な歌手に会っているとか、だれだれと友達になったとかと聞くくらいだった。


 人脈がどんどん広げて、ついいろんなプロダクションの人と知り合うようになった。その頃から、彼は映画ドラマの監督を目指すようになった。そしてドラマの現場で働いてる、映画の副監督を務めている。CM撮っているとかといろいろ聞くようになった。


 2006年、彼は大手プロダクションに入った。そして監督としてドラマや映画を撮っていた。彼が撮っているのはDV(digital video)のドラマや映画で、小規模の短編のものだが、すでに連続ドラマを2つ完成したという。


 わずか4年間の時間で自分の世界を拓いて、そして認められた。これからどんなことをやってくれるかは楽しみだ。



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