2006年1月3日火曜日

初詣をしてきた

bakutiku 今まで二回目の初詣だった。前回したのは高校現役生のとき冬休みのホームステイー先の子供と一緒にいたのだ。
 中国では初詣のようなものはない。基本的には旧正月になれば、帰省したり、親戚親友の家に行って挨拶をしたりするのは日本と同じで普通だが、初詣のようなみんなが神社という限定した場所に行って、おこなうような風習はない。
 初詣やおせち料理などはお正月をお正月らしくするものだ。これは今の中国の旧正月に足りないことだ。



 中国の正月料理といえば大晦日の夜にと、旧暦1月5日に家族全員で食べる餃子が代表的なものだ。昔餃子はお祝いに時や正月などでしか食べない贅沢な食べ物だった。更に作るのに手間がかかるから、家族みんながいて、速くたくさん作れるときだけの食べ物でもあった。ちなみに中国では餃子は主食で、中にはニンニクも入っていないし、味付けも割りと薄くしている。主食だから作るときにはある程度の量以上を作るのは普通だ。
 しかし、餃子は今の中国では普通の料理になっていつでも食べたいときには食べれるようになった。餃子屋さんが多くあるし、冷凍だが、十分おいしい餃子もたくさんある。何もお正月だけのものではなくなった。
 これが意味するのは、お正月の象徴が一つ減ったということだ。確かにお正月になれば街全体は正月モードになっていて、大晦日の夜に日本の紅白のような特別番組もあるが、お正月の象徴となるような代表的なものとは言えない。
 だから最近の子供たちはお正月はつまらないと言っている。
 このような現状で、お正月を代表できる唯一といってもいいものは爆竹だ。昔から爆竹はお正月の時にやるものになっている。ここで言う爆竹には花火も含むが、中国人は基本的には正月や店の開店、お年寄りの誕生日祝いなどの祝い事のときしかしない。そしてどちらかといえば花火よりも爆竹のほうが多い。
 この爆竹でも何年か前から環境汚染の理由で、お正月の決められて20日くらいの間以外では都市部では禁止された。これによって爆竹の多くの性格の中で正月の象徴だけが残って他はなくなった。
 お正月があるから爆竹の存在があるようになって、逆に爆竹があるからお正月はお正月らしい性格を失っていない。
 社会の進歩は差をどんどん作っていると同時に差をどんどんなくしている。伝統的なものは社会が進んでも残さなければならないと思う。今の中国ではこの伝統保護の意識は足りていないと思う。


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