2006年1月2日月曜日

主観に囲まれている社会

 1660年に世界最初の新聞がドイツで誕生した。
 1920年に世界最初のラジオ放送がアメリカで始まった。
 1935年に世界最初のテレビ放送がドイツで始まった。
 1969年インターネットはアメリカで誕生した。


 われわれを囲まれている情報の伝達メディアの誕生はこのようになっている。新聞以外は全部ここ100年以内のことだ。もちろん、新聞が誕生する前にも、人々にはちゃんとした情報伝達の手段はあったが、新聞のような不特定多数に定期的に情報を伝えるものはほとんどなかったのではないかと思う。
 これからのメディアによって、われわれは種々の主観に囲まれるようになった。今になったらまさに社会そのものは主観によって作られるようになった。それはマスメディアが発達した現代社会の避けられない生活ではあるが。その中で救いとも言えるのは、メディアは一つだけではなく、多くあることだ。そのため多くの側面からものを知ることができるため、客観にある程度近づけるのだ。



 このような社会で生活するためには、手に入る情報は全部主観が入っているの物であること、そして、自分から情報を伝えるとき、それも自分の主観が入っていることを意識しなければならない。
 主観だから、もののある側面あるいはあるいくつかの側面しか見ていない。簡単に言うと、もののいい面を見ているとき、必ず悪い面もあるし、悪い面を見るとき、必ずいい面もあるはずだ。どちらの面を見ても問題ないが、重要なのは建設的な見方で見なければならないことだ。
 主観である以上伝える情報は加工される。そこでその情報を生かすような加工なのか、殺すような加工なのかで情報そのものの価値が決まってしまう。これほど書き手が重要である。
 書き手のことをあまたに入れて情報を読む。これはこの社会で生活するのに最も基本なルールである。これは誰もが知っているかもしれないが、できるのは難しい。


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