最近「わかりやすく伝える」ことについてよく考えている。
今までの自分の伝える力にはある程度の自信があった。複雑な事象やたくさんある情報をわかりやすくそのポイントを伝え、段階的に内容を理解してもらえる。それは伝えようとする内容に対する理解と整理がうまくできているからで、長年の家庭教師・講師の仕事と学術論文をゼミで発表する経験のおかげだ。
でも最近自分の伝え方の非効率性に気づいた。同じ理解度を実現するのに、もっと効率的に、つまり時間的にも、使用するマテリアルの量的にも、もっと節約できるはずだと思うようになった。
理由は簡単で、今までは伝えようとする事象や情報の整理と理解に重点を置いて、それがちゃんとできれば、後は適切に聞き手の反応を確認しながら言葉を選べばよいと思っていた。でも伝えるその行為自体の工夫は全然足りなかった。
だから高い理解度を実現できても、その効率が悪かった。そして、その結果、インプットを効率的に処理してアウトプットを出す力が伸び悩んでいた。
その解決案を考えていて、その結論はタイトルの「考え抜いたわかりやすさ」だ。
材料をそろえてからの、「編集」の勝負だ。もちろん材料の本質やポイントを意図的に変えるような編集ではなく、あくまでもそれを効率的に伝えるための編集だ。そのために必要なことは、「考え抜いたわかりやすさ」を追求することだと思う。
まだ漠然としているところが多いが、現時点では「考え抜いたわかりやすさ」の内容は「面白いストーリー」とそれを構成する一つ一つの「シーン」の二つに対して工夫することで実現できると考える。今後しばらくの課題はそれを具体化して、自分なりの方法論としてまとめていくことだ。
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