2006年9月16日土曜日

マナーってなに?

 辞書で調べたら、礼儀作法と書いてあった。さらに礼儀を調べたら、人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。特に、敬意を表す作法。とあった。


 どうやらポイントは秩序の維持と敬意を表すと理解して問題ないようだ。だしかに一般的にマナー違反とされていることは社会生活の秩序に害を与えていると考えられるし、そういう行為はまったく周りの人に敬意を払っていないのも確かなのだ。


 ここではそのマナーの話をするつもりはない。ここで話したいのは先ほどテレビで紹介された、お茶を飲むときのマナーやスイカを食べるときのマナーなどのマナーだ。 


 スイカを食べるときのマナーをちょっと紹介すると、まず一口食べてからは、歯の形が残らないように食べたところの断面が平らになるように食べなければならない。そして、手を筒状にして口に当て、さりげなく種をその中に出し、相手の人に見られないようにもうひとつの手で隠しながら手の中の種を皿の自分側に出す。口から種を出す動作は上座の人に向けないようにすべき。これらの作業が全部終わったら、途中まで食べたスイカの食べている部分を相手に見えないようにスイカを自分の方に向ける。という。


 これはスイカを一口食べたときの全作業。と着物を着ているおばさんが言っていた。


 それを見てて、こんなことをしてスイカを食べて、おいしいのかなと思った。そしてこんなことをしたから、相手に対して敬意を払っているといえるのかと疑問だった。これが正しいマナーだとおばさんが言っているが、誰が正しいと決めているのかはわからない。


 電車では床に座らないとかいうのは立派なマナーだと思う。今のこのスイカの食べ方はマナーではなく、そのいわゆるマナーを研究するオタクたちの趣味の内容にすぎない。これは悪いとは思っていないし、やりたい人がどうぞやってくださいといいたい。しかし、これは秋葉原の方々が趣味で研究していることと同じレベルのことに過ぎないから、これが正しい食べ方だと言われても迷惑な話だ思う。


 どこの誰かがわからない人が勝手に決めたマナーじゃなければいけないといわれても納得ができない。実際はおそらく代々の先輩たちがまとめた一番「美しい食べ方だ」とマナーのおばさんが言うだろうが、結局誰かが勝手に決めたことだ。たとえば日本ではご飯を食べるときは茶碗を手に持って食べるのがいわゆるマナーだが、韓国では持たないのがマナーなのだ。インドになったらそもそもご飯のときは片手しか使えない。結局どう食べるかは、他人から見たらどうでもいい何かのことを信じている人同士の約束に過ぎない。


 そもそもスイカを出してくれた人に対して、おいしくいただくのが一番の敬意の払い方だと思うし、自分の食べたいようにおいしく食べるのが一番だと思う。要は作法などに縛られず、自然体が一番のマナーだと思う。


 スイカの食べ方のような必要以上の「過マナー」で生活のいろんな面を束縛するのは自虐的だと思う。このような「マナー」が正しいのだと主張する人こそひとつの価値観を他人に押し付ける思いやりのない人だと思う。


 以上常識がないといわれてもしょうがない僕のマナー観だった。



0 件のコメント: