2006年6月4日日曜日

お茶のコマーシャルはなぜ中国語?

 というのは僕の素直の疑問だ。



 別に中国人はお茶をそんなに飲んでいるわけでもない。習慣的に飲んでいるのはあくまでも一部の人だけである。



 お茶を飲むことは健康的であることは一般的に知られている。しかしそれはあくまでも個人の趣味のことであって、健康のためにわざわざお茶を飲む人はまだ少ない。むしろお茶を飲み過ぎた中年層は歯が黄色くなったり、軽くお茶依存になったりすることが指摘される。



 個人的な意見だが、一人当たり平均の場合、日本人は中国人よりもお茶を飲んでいるのだと思う。



 飲料水として売っているお茶飲料も日本の方が圧倒的に多い。にもかかわらず中国語をしゃべっている中国人が飲んでいて、それがいかにも体にいいようなコマーシャルを作るのはナンセンスだと思う。



 多分習慣的にお茶を飲んでいる地域ではそのような効用があったりするかもしれないし、そんなにすばらしいお茶があるかもしれないから否定はできない。しかし、中国人がそのコマーシャルを見ても「へえ、お茶ってそんなにいいんだ?」と思う人が大多数では無いかと思う。



 去年日本人の先生と後輩と一緒に中国に行ったとき、北京の有名なお茶の店にお茶を買いに行った。日本人の女の子が「美容にいいお茶が中国にあると聞いたから買いたい。」と言って店のお茶のソムリエに聞いてみた。しかし、ソムリエの答えは「ジャスミンなど花系のお茶は美容にいいとも言えるかもしれないが、普通の葉のお茶が美容にいいのは聞いたこと無いよ。」だった。



 もっと他の専門家に聞いてみたいと分からないが、「お茶が美容にいい」というのは日本だけの話かもしれないね。

2006年5月29日月曜日

盗作の理由は分からない

 画家の盗作の話をラジオで聞いた。



 盗作をする理由が良く分からない。



 画家ならその絵を見れば盗作だとすぐ分かるだろうから、何でそんな明白なうそをつくのでしょうか?



 明白のうそをつくといったら、小さい子供のうそを思い浮かぶ。しかも大体幼稚園から小学校低学年くらいの子だ。



 その画家さんも小学校低学年程度なのかな?



 しかも盗作したとされている絵は一枚ではなく、かなりあるという。



 しかも盗作したのは友人の画家の絵だという。



 もし盗作した本人が小学校低学年程度ではなかったら、恐らくその画家は、友人の画家や絵を見る人々は皆小学校低学年程度だと思っているのに違いない。

 

 もしそうでも無かったら、このことは僕には本当に理解できない。

2006年5月28日日曜日

コンビニに自動レジが欲しい

 家の近くにあるコンビニは毎日のお昼のなると、客が長い行列を作ってレジを待つ。三つのレジが動いているのに、コンビニにしてはかなりの待ち時間となっている。



 この現象は恐らく大部分のコンビニのお昼にも同じだと思う。



 並んでいて、コンビには自動レジがあれば時間はかなり短縮できるのではないかと思った。そこで考えた「自動レジ」は、次のようなものだった。



 電子レンジみたいな箱で、上の面にディスプレーがある。客が買った商品をその中に入れ、蓋を閉めると、商品についているICタグをレジが読み取って、価格を表示する。ここでは他に必要な情報もディスプレーに表示できる。客がその価格を見て、レジの自販機のような部分にお金を入れると、おつりが出て、蓋も自動的に開き、客が商品を取り出す。もちろん支払ったお金が足りなかったら、蓋は開かない。



 基本的には客の行動手順は自販機でジュースを買うときと似ているので、かかる時間も同じくらいだと考えられる。何よりこの自動レジがあれば、店員の人数が少ないときでも、多くの客に対応できる。お昼のときこの自動レジを稼動させれば、時間の短縮だはできるはずだ。



 考えられる問題として、まず店側のコストはあるが、ICチップが安くなってくれば、商品管理や在庫管理もICチップを利用してできるので、さほどの負担にはならないと思う。



 また、レジのとき、店員がどんな客がこの商品を買っているのかを情報として入力している。その情報はマーケティング用の情報として大きな価値を持つ。これは自動レジでは、会員カードみたいなポイントカードの支払いを推奨することで同じ効果が得られる。ポイントカードに最初からその客の情報をある程度登録しておけばいいということだ。



 同じシステムはスーパーなどでも使えるので、ぜひ誰かこのようなものを作って欲しい。

2006年5月27日土曜日

外国人登録200万人に

 日本の外国人登録が200万人に達したというニュースがあった。



 在日外国人の各国の割合を考えると、200万人の中には中国人が100万人くらいいるはずだ。これには日本国籍になったすなわち帰化した中国人や、登録せずに滞在しているものを入れていない。



 おおざっぱに、日本人口の1%弱が中国人であることになる。恐らくこの数字は多くの人の感覚での数字よりも高いでしょう。これからの少子高齢化が進むにつれ、この割合がもっと高くなる。外国人の存在は日本にとって、そしてその出身国にとって大きな意味を持つ。



 やはり長い視点で外国人という日本社会にとって不可欠な存在を考え、外国人との付き合い方を考えなければならない。政府同志が子供の喧嘩みたいに意地を張り合ってるからこそ、国民レベルではもっと大人としての付き合い方をしなければならない。



2006年5月26日金曜日

高齢者社会での若者

 平日の午後東京からの下り電車に乗ると、半分の乗客は高齢者である。



 これからはこの割合はもっともっと増えていくと考えると、その高齢者に対する心配よりも、この高齢者社会を生きていく自分たち自身に対する心配が大きい。



 社会の高齢者に対するケアの準備は整えていない、しかしそれ以上にその社会の主役としての今の若い世代へのケアの準備はもっと足りない。



 はたして我々の世代は将来人口の四割が高齢者の社会からのプレッシャーに耐え、与えられた重責を果たせるのか?というよりも、それを果たすために社会から得るはずの十分なサポートと評価とケアを得られるのか。



 今から制度を作らないと恐らく間に合わないだろう。しかし今は高齢者に対するサポート制度の作りでもいっぱいのようだ。



2006年5月25日木曜日

サービス業はスピードが命

 やっと家のネットがつながって。申し込みから2ヶ月弱かかった。



 ゴールデンウィークなどがはさんで、さらに書類関係で不備があったから余計に時間がかかった。それでもやはりネットの申し込みから開通まではちょっと時間がかかりすぎだと思う。



 僕が選んだプロバイダより断然速いところもある。その会社は開通までの速さを売りにしている。途中でこっちの申し込みをキャンセルしてそっちにしようと思ったが、やはり値段の差があって、あきらめた。安さを売りにしている会社を選んだ以上、これくらいは我慢するしかないと納得した。



 顧客としてあまりよく無い納得だと思うが。



 ライブドアの無線接続みたいな金さえ払えばすぐ使えるところもある。その手続きといえば10分以内に終わることも可能だ。もちろん有線接続と無線接続には大きな違いがあるから一緒に比べられないが、それにしても10分と2ヶ月の差があまりにも大きすぎる。



 手続きの間、会社からの連絡は全部葉書によるものだった、それもかなり時間のかかるものだった。一つの書類を提出して、それに不備があったことを知らせてくれる葉書が届くのは一週間後だった。メールで知らせてくれれば時間も短縮できるし、コストも低くなるはずだが、なぜかそれをまったくやらない。



 一応IT関係の会社だろうが、それに時代遅れの性格の部分を多々感じた。本当に大丈夫でしょうか。

2006年4月21日金曜日

毎日の積み重ね

 2ヶ月ほど前からはじめた500円貯金の貯金箱をちょっと持ったら、思ったより重かった。



 何枚入っているか分からないが、入れるときは1枚ずつでだから、その重みはあまり感じない。しかしそれをずっと継続してやっていると、相当の重さになっていく。



 やはり毎日の積み重ねが大事だ。これくらいは誰でもわかることだけど、なかなか継続ができないのも事実だ。



 最近継続することのコツを考えている。



 まず毎日やる仕事の量を減らすことが大事だと思う。毎日続けられるのは、無理を強いられないことでなければならない。無理にならないように、すぐ終えられるように毎日のノルマ量を減らす。そうすればそのことが負担にはならず、継続が可能になる。



 次はやむを得ず一時期中断しても、それまでの部分を清算し、再びスタートできるようにルールを決めること。ちょっとできなかった日が続くと、その分も全部やらなければならないなら、相当の負担になって、挫折しやすくなる。そういう時は、前のできなかった部分にはこだわらずに、きっぱりその部分をあきらめて清算して、新しいスタートを切ることが重要だと思う。



 最後は、目に入りやすいところに、今日はやったかどうかを確認できるような表示を設けること。やはり目に見える形ではないと、忘れてしまうかもしれないし、忘れなくてもやる気が出なくやらないかもしれない。目に入るところに「催促状」があれば、忘れずにちゃんとやる可能性が大きくなる。



 この三点を心がけることで、最近毎日続けていろんなことができるようになってきている。



 もちろん、このような工夫は、絶対にやり通す決心と目標達成を想像することによって維持されるやる気があることが前提での話である。